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【40歳男性】人生の魅せかた

私は、40歳です。
あなたは、おいくつですか?(女性の方、失礼しました)

私は40歳を迎え、人生折り返したな、という感覚を強く覚えます。

20代の頃には、こういう思いは感じませんでした。
いつ◯んでもいい、とは思ってましたが。ダメ、ゼッタイ

そうですね、30代半ばくらいでしょうか。
自分の人生に終わりが見えると、誰か「自分の代わり」を作りたくなるんですよね。

 身代わりはあなた

「自分の代わり」
もう少し砕けた言い方をすると、自分の「身代わり」です。

私は過去を振り返った時に、誇れるものが何もありません。

例えるなら、
街中で声を掛けられたような気がして、ふと後ろを振り返ったのに、誰もいなかったときのようなあの感覚と同じです。

・身体の衰え
・集中力の低下
・未来への失望
・今までできていたことができない

そんなものたちが、積み重なるように目の前に立ちはだかるのが、私のこれからの「未来」かもしれません。

それはつまり、
自分へのあきらめ、を意味します。

自分に対して、
人生に対して諦めると、
その思いを、希望を、「身代わり」に託すのです。

もしかしたら、
それは「あなた」かもしれない。

 承認欲求

「誰かに認められたい」
「頑張ってるから褒めて欲しい」
「居場所がほしい」

ヒトの承認欲求は、計り知れません。

子供の頃であれば、

・逆上がりができるようになった
・自転車に乗れるようになった
・通信簿で「5」をもらった(今も5段階評価ですか?)

なんてことで、両親に褒めてもらった経験があるのではないでしょうか。

私が思う、40歳以降の承認欲求第1位は、
自分の「居場所」がほしい
です。

それは、子供の頃のような「瞬間の承認欲求」じゃない。

「これからもここで生き続けていいんだ」

という、「残りの人生の片道切符」のようなものなんです。

これがきっと、「人生の糧(かて)」ってやつなんでしょう。

 口数過多

歳をとると、話が長くなります。

いわゆる「口数過多(くちかずかた)」です。
え?
そんな言い方はあまりしませんか?すいません(笑

人生の片道切符を手に入れると、いよいよ「終わり」が見え隠れします。

普段、あなたの隣にいる人。
一緒に住んでいる人。
子供。
友達。

そんな人たちに、自分の持っている知識を、考えを、価値観を、伝えたいと思うのです。

「この人なら、私の気持ちを理解してくれる」
「その上で、この人の人生がよりいい方向へ向かうはずだ」

悪気もなく、そう思ってコンコンと、いや、ベラベラと、伝え続けるのです。
そして、
「ここにいていいんだ」「生きていていいんだ」
という承認欲求を満たしてゆくのです。

その場合、語り相手はおそらく自分より年下の方でしょう。
なぜなら、「計算上、自分より長く人生が残っているから」です。

相手は、最愛の子供でしょうか。
相手は、近所の子供たちでしょうか。
たまたま営業に来た、自分の子供くらいの営業マンでしょうか。

気持ちよく、悪気なく、良かれと思って、「ベラベラ」しゃべります。
しゃべり続けます。

相手もうなづいてる。
相槌(あいづち)を打ってくれている。
「あ、私の話、あなたに役に立ってる」

本当にそうでしょうか。

あなたが話している時、
あなたは、相手の目線を追っていますか。
相手は、時計を気にしていませんか。
相手は、「話して」いますか?

残酷なことに、
どんなにあなたが話していることが「正義」であり「正解」であったとしても、
”聞く側”はいつの時も「自分の立ち位置」で話を聞きます。

あなたの話は、あなたの年齢層では「正解」かもしれません。
が、相手の年齢層では「関係のないこと」かもしれません。

人類最大の伝達手段である「言葉」は、時に残酷な運命を招いてしまうのです。

 希望の託しかた

言葉を使って、気持ちを伝える。

産まれた時から、自然とやり続けている伝達手段は時に悲劇を生むのです。

まず、人生の先輩である私たちがやらなければならないことは、
「目線を落とす」こと。

私たちは、相手に伝える前に、相手の「立ち位置」まで「目線」を落として話す必要があります。
物理的な「目線」の話じゃありません。
「気持ち的」な話です。

「目線」が揃わなければ、聞く側は興味を持ってあなたの話を聞きません。
前述の通り「私には関係ない」と、まるで上下にカクカク動くおもちゃのように首を縦に振るでしょう。

私たちが、お喋りになること、おせっかいになること。
それらはきっと「次の世代に希望を託す」という儀式の一つです。
産まれた時から体内に埋め込まれた「義務」なのでしょう。

悪気はないのはわかってます。
居場所が欲しいのも、良かれと思ってやっていることも、全てわかってます。
あなたは、悪くない。

しかし、時にそれは、あなたを「孤独な寂しい人」に変換してしまうかもしれない。

目線を合わせましょう。
じゃなきゃ、「言葉」という伝達手段を使って「希望を託す」意味なんてなくなります。

 人生の魅せかた

あなたには、美しい人生を送ってほしいと思っています。

「美しい人生」の定義なんてない。
あえていうなら「あなたらしい人生」ですかね。

私があなたに送る、言葉の全てを背負い込むのは、いささか億劫(おっくう)でしょう。
取捨選別(しゅしゃせんべつ)しやすいように伝えることが出来なくて、ごめんなさいね。

あなたは私の「希望」。
そう言われて、あなたは嬉しいですか?

私、思ったんです。

逆の立場なら、こう思うな、って。
「まだ、あなた自身ができることがあるだろ!」
「希望を託すのは、まだ早い!」

あなたに映っている私は、
「希望を託す人」ではなく、「成長を諦めた人」なのかもしれませんね。

人生の片道切符をもらってしまうと、人生の終着点が決まってしまう。
だから人は、終着点に辿り着く前に、誰かに自分の持っている「希望」を託し始める。
つまりそれは、「希望を差し出す」と同時に「自分の成長を止めている」ことになるのかもしれません。

私は、今40歳です。
あなたは、何歳ですか?

人生80年だとして、あと40年。
私は、片道切符を35歳で手にしていました。

多くの後輩や出会う人たちに「希望」を託してきました。
「言葉」を多く使わせてもらいました。

けれど今、自分のやるべきことが見つかりました。

希望を託すその前に、
自分の人生に責任を。
誇りを。
そして美しさ(いろどり)を。

男は、
父親は、
口を使って多くを語るよりももっと効果的なものを持っているのです。

それは、「背中」です。

さぁ、みなさん。
今日からみなさんの合言葉はこれです。

「語るな、魅せつけろ」

さぁ、力を抜いて、右手をゆっくり開きましょう。
そんな片道切符、ゴミ箱にポイ、です。

あなたはまだまだ、成長できます。

「40歳男性シリーズよかったら、

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